渡辺さんは現役引退後、野球評論家として活動した時期を経て、2004年に西武へ指導者として復帰しました。選手時代に所属した球団へ戻り、今度は若手選手を育てる立場になったのです。
2008年に西武の監督へ就任、1年目で日本一2004年に二軍投手コーチ、2005年から2007年まで二軍監督を務めた後、2008年に一軍監督へ就任しました。
監督1年目の2008年、西武はパ・リーグ優勝を達成。さらに日本シリーズでも勝利し、日本一に輝きました。渡辺さん自身も、選手として経験した西武の黄金時代を、今度は監督として再現する立場になったわけです。
2013年まで監督を務めた後はシニアディレクター、編成部長などを歴任。2019年にはゼネラルマネジャー(GM)に就任し、チーム編成や組織運営にも深く関わるようになりました。
2024年の監督代行と球団退任2024年シーズン途中には、GMと兼任する形で一軍監督代行を務めました。しかし、チームは苦しいシーズンとなり、シーズン終了後に球団を退任。球団の人事発表では、渡辺さんの退任日は2024年12月31日とされています。
2025年2月の日刊スポーツの取材では、退団について本人が次のように語っています。
「もうなんか、やり切った」
また、長年関わってきたチームが新しく変わるためには、退団するタイミングとしてちょうどよかったという趣旨の発言もしています。
現役選手、監督、GMという複数の立場で西武を支えてきた渡辺さんだからこそ、球団を外から見る選択にも一定の区切りがあったのでしょう。
【2026年現在】渡辺久信は野球評論家・解説者として活動中

2026年11月現在、渡辺久信さんは野球評論家・解説者として活動しています。球団の現場から離れたことで、今度は外部の立場からプロ野球や西武ライオンズを語る機会が増えています。
2025年から評論家活動を再開2025年には日刊スポーツの客員評論家に就任。2月には古巣・西武の南郷キャンプを訪問し、選手やチームの様子を外部の視点から取材しました。
この取材で渡辺さんは、チームについて次のようにコメントしています。
「外部の血も入って、マンネリの状況を打破しようとする雰囲気はあるね。」
長年、球団の内部にいた人物が、今度は評論家としてチームの変化を観察する。その立場の違いが、コメントにも表れています。
2026年5月には西武黄金時代を振り返るインタビューも2026年5月12日には、集英社のスポーツメディア「web Sportiva」に渡辺さんのインタビュー記事が掲載されました。
テーマは西武黄金時代の強さの秘密です。選手、監督、GMを経験した渡辺さんが、当時のチームの強さや監督代行時代のエピソード、2026年シーズンの西武について語っています。
現役時代の投手としての経験だけでなく、長年のチーム運営経験を踏まえて野球を分析できることは、現在の評論活動における大きな強みです。
著書『獅子回顧録』で語られた西武への思い著者:渡辺久信/出版社:カンゼン
発売日:2025年12月18日
定価:1,980円(税込)
2025年12月18日には、渡辺さんの著書『獅子回顧録』が発売されました。
本書は、選手・監督・フロントという立場から関わった西武ライオンズの歴史を振り返る内容です。選手時代について触れる章もありますが、中心となるのは2004年に二軍投手コーチとして復帰してから、GMを務めた2024年までの約20年間です。
タイトルの背景にあるのは、西武という球団への強い思いです。若い頃の投手としての活躍だけでなく、球団運営やチームづくりに携わった経験を知りたい読者にも参考になる一冊です。
【プロの結論】若い頃の渡辺久信を知るなら3つの実績に注目
渡辺久信さんの若い頃を理解するうえで、単に「イケメンだった」「球が速かった」という印象だけでは、選手としての本当の価値は見えてきません。
特に注目すべきなのは、次の3つです。
1. 高校1年生から甲子園を経験した早熟の実力派前橋工業高校1年夏にエースとして甲子園に出場した経歴は、渡辺さんの野球人生を象徴しています。18歳でドラフト1位に選ばれた背景には、高校時代から全国レベルの舞台を経験していたことがありました。
2. 1986年の数字が示す総合力16勝、178奪三振、勝率.727という成績は、単純に勝ち運に恵まれただけでは残せません。219回2/3を投げ、13完投したことからも、先発投手として長いイニングを任される能力があったことが分かります。
ここで一つ、記録上の注意点があります。1986年に渡辺さんが獲得したのは最多勝、最高勝率、最多奪三振の3タイトルです。一般的な投手三冠(最多勝・最優秀防御率・最多奪三振)と混同しないことが大切です。この年の最優秀防御率は阪急の佐藤義則さんでした。
3. 選手から監督、GMへと役割を変えた経験渡辺さんのキャリアで興味深いのは、現役時代の実績だけにとどまらないことです。2008年には監督として日本一を達成し、2019年からはGMとして球団運営にも携わりました。
選手として勝つことと、監督としてチームを勝たせること、さらにGMとして長期的な戦力を整えることは、それぞれ異なる能力が必要です。3つの立場を経験したことが、現在の野球評論家としての視点にもつながっています。
若い頃の写真をきっかけに渡辺さんに興味を持った人は、1986年の投手成績、1996年のノーヒットノーラン、2008年の監督としての日本一という順番で経歴を追うと、人物像をより立体的に理解できます。
【渡辺久信の若い頃】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:渡辺久信は前橋工業高校時代に甲子園へ出場していますか?
A1:はい。前橋工業高校の1年生だった夏に、エースとして甲子園へ出場しています。その後、1983年のドラフト1位で西武ライオンズに入団しました。
Q2:渡辺久信の若い頃の身長は何cmですか?
A2:NPB公式プロフィールに記載されている身長は185cmです。右投右打の大型右腕として、力強い直球を武器に活躍しました。
Q3:渡辺久信は1986年にどのような成績を残しましたか?
A3:39試合に登板して16勝6敗、防御率2.87、178奪三振、勝率.727を記録しました。最多勝、最高勝率、最多奪三振の3タイトルを獲得しています。
Q4:渡辺久信の最多勝は何回ですか?
A4:通算3回です。獲得した年は1986年、1988年、1990年です。
Q5:渡辺久信はヤクルトスワローズにも所属していましたか?
A5:はい。1997年オフに西武から戦力外通告を受け、1998年にヤクルトへ移籍しました。その後、1999年から2001年までは台湾プロ野球で選手兼任コーチを務めています。
Q6:渡辺久信は2026年現在、何をしていますか?
A6:野球評論家・解説者として活動しています。2025年には日刊スポーツの客員評論家に就任し、2026年5月にも西武黄金時代を振り返るインタビューが掲載されました。
Q7:渡辺久信の『獅子回顧録』はどんな本ですか?
A7:2025年12月18日に発売された著書で、西武ライオンズで選手、監督、GMを経験した渡辺さんが、主に2004年から2024年までのチームづくりや球団運営を振り返っています。
渡辺久信さんは、前橋工業高校1年夏の甲子園出場を経て、1983年に西武ライオンズからドラフト1位指名を受けた投手です。
身長185cmの恵まれた体格を生かし、1986年には16勝を挙げて最多勝など3タイトルを獲得。その後も1988年、1990年と最多勝を記録し、西武黄金時代を支える存在になりました。
ヤクルト移籍や台湾での選手兼任コーチを経験した後は、西武に指導者として復帰。2008年には監督として日本一を達成し、GMとしても球団を支えました。
そして2026年現在は野球評論家・解説者として、現役時代や西武黄金時代の経験を伝えています。2025年刊行の『獅子回顧録』や2026年のインタビューも、現在の渡辺さんを知る手がかりです。
若い頃の写真に写る長身の剛腕投手と、現在の野球評論家。その両方をつなぐのは、選手、監督、球団幹部として長年プロ野球の第一線に立ち続けた経験です。渡辺久信さんの魅力は、華やかな現役時代だけでなく、その後も野球と西武に向き合い続けてきたキャリア全体にあります。
主な参照資料:日本野球機構(NPB)公式選手記録、埼玉西武ライオンズ球団公式記録、日刊スポーツ、web Sportiva、リアルサウンド ブック、カンゼン刊『獅子回顧録』書籍紹介。