志村けんさんの本名は志村康徳(しむら・やすのり)。1950年2月20日に東京都東村山町(現在の東村山市)で生まれ、2020年3月29日に70歳で亡くなりました。
志村家は男3人兄弟で、けんさんは末っ子です。兄弟の名前と続柄は次のとおりです。
東村山市役所に長年勤務した元公務員。2017年に完全退職しました。
けんさんの次兄。メディアへの露出が少なく、職業や現在の生活について公表されている情報は限られています。
兄2人とは異なる道を選び、芸能界で活躍。ザ・ドリフターズへの加入を経て、日本を代表するコメディアンになりました。
2025年3月の女性セブンの報道でも、3兄弟の写真が掲載されています。写真の並びは左から次兄の美佐男さん、長兄の知之さん、志村けんさんです。兄弟がそろった写真が現在も注目されるのは、3人がそれぞれ異なる人生を歩みながら、家族としてつながっていたことが伝わるためでしょう。
父親は志村憲司さんで、小学校教諭を務めていました。母親の和子さんも2015年に96歳で亡くなっています。けんさんが亡くなった時点で、両親はすでに他界していました。
【長兄・志村知之の職業】東村山市役所で約48年間働いた経歴

志村けんさんの兄として、最も広く知られるようになったのが長兄の知之さんです。そのきっかけは、2017年4月1日に東村山市の渡部尚市長が公開した写真でした。
市長と握手する知之さんの姿が、弟の志村けんさんに驚くほど似ていたのです。写真がSNSで拡散され、芸能人ではない一般人である知之さんにまで注目が集まりました。
東村山市役所での勤務歴J-CASTニュースが2017年4月3日に掲載した本人への電話取材によると、知之さんは1969年から東村山市役所に勤務していました。
最後に所属していたのは高齢介護課です。市民の自宅を一軒ずつ訪問し、保険料の納付について説明したり、相談に応じたりする仕事を担当していました。
この業務について、知之さんは市民との信頼関係が欠かせない仕事だと説明しています。芸能界で華やかな活動を続けた弟とは対照的に、地域住民と日々向き合う仕事を長年続けてきた人物でした。
2017年3月31日に完全退職知之さんは定年退職後も、職場の後輩からの要請を受けて臨時職員として勤務を続けていました。そして2017年3月31日、東村山市役所での仕事を完全に終えています。
渡部市長はJ-CASTニュースの取材に対し、知之さんは職場でも地域でも人気があり、若い職員からも慕われていたと評価しました。定年後も残ってほしいという声があったことから、臨時職員として勤務を続けたそうです。
「市民に近い立場の仕事は天職だったの可能性があります」
これは渡部市長が知之さんの仕事ぶりを評した言葉です。単に有名人の兄というだけでなく、地域に根差した仕事を長年続けてきたことが分かります。
【顔写真を検証】志村けんの兄は本当にそっくりなのか?
志村知之さんの顔写真が話題になった最大の理由は、弟の志村けんさんと顔立ちがよく似ていたことです。
2017年4月、渡部市長が公開した写真には、市役所の前で笑顔を見せる知之さんが写っていました。写真を見た人からは、兄弟の顔がそっくりだという反応が相次ぎました。
本人も認めていた顔の類似性興味深いのは、知之さん自身も弟との顔の類似性を認識していたことです。
J-CASTニュースの電話取材では、弟とは性格が少し違うものの、顔はよく似ていると言われると話しています。また、自分のほうが髪の毛があるため、若く見られることが多いとも語っていました。
つまり、兄弟が似ているという話は、写真を見た人たちだけの感想ではありません。本人も周囲から何度も指摘されていた特徴だったのです。
兄弟の顔が似ていると話題になる理由顔写真を比較すると、特に注目されるのは目元や顔全体の輪郭、笑ったときの表情です。芸能人として知られる弟のイメージが強いだけに、一般人である兄の写真を初めて見た人が驚いたのも無理はありません。
ただし、顔写真の印象は撮影時期や表情、角度によって変わります。写真だけで兄弟の性格や生活まで判断することはできません。
知之さんの写真が注目された背景には、長年テレビで親しまれてきた志村けんさんの面影を、家族の中に見つけたというファン心理もあったのでしょう。
【兄弟関係・年表】知之さんと美佐男さん、志村けんの絆
志村家の3兄弟について、報道で確認できる出来事を時系列で整理します。
この年表から分かるのは、3兄弟の関係が単なる親族関係にとどまらず、人生の節目で家族としてつながっていたことです。
最後に会ったのは2020年2月の古希祝い2020年2月20日に70歳の誕生日を迎えた志村けんさん。その古希祝いは2月25日に麻布十番の店で開かれ、知之さんの息子たちも参加しました。
知之さんは当時の取材で、本人も喜んでいたと振り返っています。これが亡くなる前に直接会った最後の機会になりました。
その後、けんさんは新型コロナウイルスによる肺炎で入院。感染対策による面会制限のため、知之さんは弟と直接会うことができませんでした。
2020年3月30日、訃報を受けた知之さんは報道陣に対し、50年以上にわたって芸能界の第一線で頑張ってきた弟を誇りに思う気持ちを涙ながらに語っています。
次兄・美佐男さんの職業や現在は?次兄の美佐男さんについては、知之さんほど詳しいインタビュー記録がありません。2025年の女性セブンには、3兄弟が一緒に写った写真が掲載されていますが、次兄の職業や現在の生活を具体的に説明する本人取材は確認できません。
インターネット上では、兄2人とも公務員だったという情報が見られます。しかし、知之さんについては東村山市役所での勤務歴が報道で裏付けられている一方、美佐男さんについては同じ水準の確認ができません。2人の職業を一括りにして断定するのは適切ではありません。
家族のプライバシーを尊重しながら公表されている情報を見ると、長兄は取材に応じて弟を語る役割を担い、次兄は表立った活動を控えてきたという違いが見えてきます。
【2025年の実家解体】兄が決断した遺品整理と遺産相続の実情
志村けんさんの兄について、2025年に大きな関心を集めたのが、東京都三鷹市にあった自宅の解体です。
女性セブンは2025年3月8日、志村けんさんが亡くなってから空き家になっていた自宅で解体工事が始まったと報道しました。自宅は1987年に構えたもので、2階建て、7つの部屋を備えていたとされています。
なぜ自宅を解体することになったのか同誌の報道によると、知之さん夫妻は弟の死後、約5年間にわたって自宅を管理していました。
ファンが訪れることもあったため、近隣への配慮から人目につきにくい時間帯に家を訪問し、換気や庭の掃除を続けていたといいます。月に2回ほど管理に通っていたという知人の証言も掲載されました。
しかし、知之さんの足腰が弱り、杖なしで歩くことが難しくなったと知人が説明。長期間にわたる建物の管理を続けることが困難になり、2025年1月に不動産会社へ売却したと報じられています。
大量の遺品はどうなった?自宅には、コントの研究に使っていた大量のCDやDVD、ビデオテープ、書籍、衣類、食器などが残されていました。
知之さんは、写真の一部を個人事務所に移したものの、それ以外の大部分については業者に処分を依頼したと女性セブンの取材で説明しています。外部に情報が漏れないよう、契約を交わして作業を任せたそうです。
すべてを残せなかったことは、兄にとっても簡単な決断ではなかったはずです。しかし、膨大な品物を保管する場所や管理する人手、身体的な負担を考えれば、現実的な選択だったことがうかがえます。
兄が手元に残した最後の帽子数多くの遺品を処分する中で、知之さんが持ち帰ったものの一つが「Shimura」のロゴが入ったデニム地のキャップでした。
この帽子は志村けんさんが誕生日ごとに制作していたオリジナルキャップの一つで、晩年によく身につけていたものです。知之さんは、弟が愛用していた最後のキャップを形見として手元に残しました。
さらに女性セブンの取材では、知之さん自身が散歩などに出かける際、その帽子をかぶっていると紹介されています。
大量の遺品をすべて保管することはできなくても、弟が愛用した帽子を日常生活の中で使い続ける。そこには、兄としての思いが表れています。
志村けんの遺産相続はどうなった?志村けんさんは生涯独身で、子供もいませんでした。そのため、2021年3月のスポニチの報道では、法定相続人となる2人の兄が遺産を相続する形になると説明されていました。
同紙は、三鷹市の自宅のほか、東京都港区や静岡県熱海市のマンションなど、少なくとも3つの不動産があったと報道。遺産総額については10億円以上ともいわれると紹介しています。
ただし、この金額は確定した相続財産の公表額ではありません。推定額と実際の相続財産は区別する必要があります。
2025年の女性セブンは、三鷹市の自宅が長兄の知之さんと次兄側に相続され、その後売却された経緯を報じました。一方、遺産全体の分配や相続税の最終的な金額については、詳細な公表情報は確認できません。
したがって、ネット上で見かける「兄弟が10億円をそのまま受け取った」といった断定的な説明には注意が必要です。
【2026年最新】志村知之の現在と七回忌の様子
2026年11月現在、知之さんについて確認できる重要な近況は、同年3月に行われた志村けんさんの七回忌に関する報道です。
志村けんさんが亡くなったのは2020年3月29日。そこから6年が経過した2026年3月29日が七回忌にあたります。
東村山市長が知之さん宅を訪問テレビ朝日系のテレ朝NEWSは2026年4月2日、東村山市の渡部尚市長が志村家を訪問したことを報じました。
渡部市長は4月1日に自身のインスタグラムを更新し、3月31日に長兄・知之さんの自宅を訪れたと報告。志村けんさんの位牌が安置された志村家の仏壇にお線香をあげたことを明らかにしました。
「志村家の仏壇にお線香をあげてまいりました」
また、市長は七回忌を終えたばかりの知之さん夫妻に対して、対応への感謝と健康を気遣う言葉を寄せています。
この報道から分かるのは、2026年3月末の時点でも、知之さん夫妻が弟の位牌を大切に守っていたことです。
志村けんの墓には今もファンが訪れる同じ市長の投稿では、志村けんさんのお墓に全国から訪れるファンの花や供物が絶えないことにも触れられています。
亡くなってから6年が経過しても、東村山市を訪れて故人をしのぶ人がいるという事実は、志村けんさんが残した影響の大きさを物語っています。
テレビで笑いを届けた芸能人としての記憶だけでなく、故郷の東村山にゆかりのある人物として、地域の人々にも記憶され続けているのです。
兄の現在の生活は?知之さんは2017年に東村山市役所を完全退職しており、その後は芸能活動や公的な仕事に就いたという情報は確認できません。
2025年の女性セブンの取材では、弟の自宅の管理や遺品整理に向き合っていたこと、愛用の帽子を散歩の際にかぶっていることが紹介されました。2026年には渡部市長が知之さん夫妻の自宅を訪問しています。
これらの報道からは、退職後も家族とともに暮らしながら、弟の思い出を大切にしている様子が伝わります。ただし、日々の生活の詳細や現在の職業、具体的な活動については公表されていません。
知之さんは芸能人ではなく一般の方です。現在の生活を知るうえでは、本人の取材発言や市長の公的な発信など、実際に確認できる情報を中心に見ることが大切です。
【プロの結論】志村けんの兄から見える家族の本当の姿
志村けんさんの兄について調べると、単に有名人に似ている一般人という話題だけでは説明できない、家族の歩みが浮かび上がります。
長兄の知之さんは、1969年から東村山市役所で働き、地域に密着した公務員生活を続けました。一方、弟のけんさんは芸能界に進み、テレビや舞台で多くの人に笑いを届けました。
職業も生活環境も異なる兄弟でしたが、2020年2月の古希祝い、突然の別れ、遺骨の帰宅、そして2025年の遺品整理と、家族としての関わりは続いていました。
特に注目したいのは、2025年に知之さんが弟の帽子を形見として残したことです。家を売却し、数多くの遺品を整理する中でも、弟が愛用していたものを日常的に身につけているというエピソードは、兄弟の絆を象徴しています。
また、2026年の七回忌に東村山市長が知之さん宅を訪れ、仏壇にお線香をあげたことも、家族と故郷とのつながりを感じさせる出来事でした。
志村けんさんの功績を振り返るとき、舞台上の名場面やテレビ番組だけでなく、彼を支えてきた家族の存在にも目を向けることで、その人物像をより深く理解できます。
志村けんの兄に関するよくある質問(FAQ)
Q1:志村けんの兄の名前は何ですか?
A1:長兄は志村知之さん、次兄は志村美佐男さんです。志村けんさんは3人兄弟の末っ子でした。
Q2:志村知之はどんな職業でしたか?
A2:1969年から東村山市役所に勤務していました。最後は高齢介護課に所属し、2017年3月31日に完全退職しています。
Q3:志村けんの兄の顔写真はありますか?
A3:あります。2017年に東村山市の渡部尚市長が公開した写真が有名です。弟にそっくりだと話題になり、知之さん本人も顔が似ていると言われると認めています。
Q4:次兄の志村美佐男の職業は何ですか?
A4:職業について、信頼できる大手報道による具体的な裏付けは確認できません。長兄の知之さんのように東村山市役所に勤めていたという確かな情報も確認できていません。
Q5:志村けんの兄は2026年現在も健在ですか?
A5:2026年3月31日に東村山市長が知之さん宅を訪問したことが4月2日に報じられています。少なくともこの時点で、知之さん夫妻が七回忌に関する対応をしていたことが確認できます。
Q6:志村けんの実家は解体されたのですか?
A6:東京都三鷹市にあった自宅は、2025年1月に売却され、同年3月に解体工事が始まったと女性セブンが報じています。
Q7:志村けんの遺産は兄が相続したのですか?
A7:2021年のスポニチ報道では、独身で子供がいなかったため、2人の兄が法定相続人になると説明されていました。遺産総額10億円以上という数字も報じられましたが、推定額であり、最終的な相続内容の詳細は公表されていません。
Q8:志村けんの七回忌はいつでしたか?
A8:2026年3月29日です。亡くなった2020年3月29日から丸6年となる日に七回忌を迎え、東村山市長が3月31日に知之さん宅の仏壇を訪問しました。
志村けんさんには、長兄の志村知之さんと次兄の志村美佐男さんがいました。知之さんは東村山市役所で約48年間にわたって働いた元公務員で、弟にそっくりな顔写真でも知られています。
2025年には弟の自宅を売却し、遺品整理という大きな決断を経験しました。それでも愛用していたデニムキャップを形見として残し、現在も散歩の際に身につけているというエピソードは印象的です。
そして2026年3月29日の七回忌。長兄宅の仏壇には志村けんさんの位牌が安置され、東村山市長もお参りに訪れました。
兄弟の人生はそれぞれ違っていましたが、志村けんさんが亡くなった後も、その思い出は家族の中に受け継がれています。テレビで愛されたコメディアンの素顔を知るうえで、兄たちの存在は欠かせないものです。
今後も志村けんさんの功績とともに、故郷・東村山や家族とのつながりが語り継がれていくことでしょう。
主な参考報道:J-CASTニュース(2017年4月3日)、デイリースポーツ(2020年3月30日)、スポニチ(2021年3月29日)、女性セブン(2025年3月8日)、テレ朝NEWS(2026年4月2日)。