「片岡易之」という名前を見て、西武ライオンズ時代の俊足の内野手を思い浮かべる人もいれば、「片岡治大」や「片岡保幸」との違いが分からず、別人なのではないかと疑問に感じる人もいるだろう。
結論からいえば、片岡易之、片岡治大、片岡保幸はすべて同一人物である。1983年2月17日生まれ、千葉県千葉市出身の元プロ野球選手で、西武時代には4年連続盗塁王を獲得。2009年のWBC日本代表として世界一も経験した人物だ。
2026年現在は、読売巨人軍が運営するジャイアンツU15ジュニアユース(多摩川ボーイズ)の監督を務めている。プライベートでは2019年にタレントのベッキーと結婚し、2人の娘を育てている。
なぜ3つの名前を使ってきたのか。西武から巨人への移籍、現役引退後の指導者転身、そして家族との生活まで、公開されている球団発表、NPB公式記録、本人の所属事務所のプロフィール、報道各社の取材記事をもとに整理する。
【まず結論】片岡易之・片岡治大・片岡保幸は同一人物!名前の違いを解説

最初に整理しておきたいのが、3つの名前の関係だ。
片岡易之と片岡治大は、プロ野球選手として活動していたときの登録名である。一方、片岡保幸は本人の本名であり、現在の活動名義でもある。
名前の読み方はいずれも「やすゆき」。漢字だけが変わっているため、過去の野球記事や選手名鑑、芸能ニュースを調べると、異なる人物のように見えることがある。
3つの名前の違い| 名前 | 読み方 | 使用時期・位置づけ |
|---|---|---|
| 片岡保幸 | かたおか・やすゆき | 本名。現在の活動名義 |
| 片岡易之 | かたおか・やすゆき | 2005~2012年のプロ野球登録名 |
| 片岡治大 | かたおか・やすゆき | 2013~2021年の登録名として使用 |
この違いを理解するうえで重要なのは、戸籍上の名前を何度も変更したという話ではなく、野球界で使用する登録名を変更してきたということだ。
実際、2012年12月30日、埼玉西武ライオンズは翌シーズンから登録名を「片岡易之」から「片岡治大」に変更すると公式発表している。
このとき、球団が発表した読み方は従来と同じ「かたおか・やすゆき」だった。
つまり、片岡易之と片岡治大は別人ではない。ベッキーの夫として報道される片岡保幸氏も、同じ人物である。
なぜ何度も登録名を変更したのか?名前の変遷には、本人の野球人生における転機が関係している。
Full-Countの2013年の報道によると、片岡氏は東京ガスでプレーしていた2004年、プロ入りを前に、本名の「保幸」から「易之」へ登録名を変更した。
当時は故障が多かったこともあり、新しい名前で気持ちを切り替え、プロの世界に挑戦する意味合いがあったと報じられている。
その後、西武の主力選手として活躍したものの、2011年以降は故障に苦しむ時期が続いた。
2011年には左肩を負傷し、2012年には右手首の手術も経験。そこで、2012年オフに再び登録名を変更し、「片岡治大」として再出発することになった。
西武球団の公式発表では、本人も登録名の変更によって心機一転して勝負する意向を示していた。
ただし、名前を変えたことだけで故障や成績が改善したわけではない。2013年も左膝の故障などに悩まされ、出場は72試合にとどまった。
その後、巨人での現役生活とコーチ経験を経て、現在は本名の片岡保幸として活動している。
名前の変更は、本人にとって野球人生を区切り、新しい気持ちで挑戦するための節目だったと捉えると分かりやすい。
【経歴・年表】西武入団から巨人移籍、引退後までの歩み
片岡保幸氏は、高校から社会人野球を経てプロ入りした選手だ。
出身高校は宇都宮学園高校(現在の文星芸術大学附属高校)。その後、社会人野球の東京ガスでプレーし、2004年のドラフト3巡目で西武ライオンズから指名された。
プロ1年目の2005年から一軍で出場機会を得て、俊足を生かした内野手として成長。2007年には初の盗塁王を獲得し、球界を代表するスピードスターへと駆け上がった。
主要な出来事を時系列で
| 年 | 出来事 | 主な実績・背景 |
|---|---|---|
| 1983年 | 千葉県千葉市で誕生 | 2月17日生まれ |
| 2004年 | 西武からドラフト3巡目指名 | 東京ガスからプロ入り |
| 2005年 | 西武でプロデビュー | 登録名は片岡易之 |
| 2007年 | 盗塁王獲得 | 38盗塁 |
| 2008年 | 盗塁王・最多安打などを獲得 | 50盗塁、167安打 |
| 2009年 | 2度目のWBC日本代表 | 日本代表の世界一に貢献 |
| 2010年 | 4年連続盗塁王 | 59盗塁、オールスター第2戦MVP |
| 2013年 | 登録名変更とFA移籍 | 片岡治大として巨人へ |
| 2014年 | 巨人でプレー | 移籍1年目に126試合出場 |
| 2017年 | 現役引退 | 故障による出場機会の減少 |
| 2018~2021年 | 巨人の二軍コーチ | 内野守備・走塁指導 |
| 2022~2023年 | DeNAの臨時コーチ | 秋季・春季キャンプで指導 |
| 2024年 | ジャイアンツU15監督就任 | 中学生の育成を担当 |
| 2026年 | U15監督として活動 | 海外指導者派遣やチーム強化にも参加 |
この年表から分かるのは、片岡氏のキャリアが単なる選手生活で終わっていないことだ。
西武での実績、巨人での経験、引退後のコーチ活動を経て、現在は中学生年代の育成に力を注いでいる。
【西武時代の実績】4年連続盗塁王とNPB通算320盗塁の実力
片岡易之という名前が野球ファンに強く記憶されている最大の理由は、西武時代の圧倒的な走力だ。
2007年から2010年まで、4年連続でパ・リーグ盗塁王を獲得。単に足が速いだけでなく、投手の動作を見極める技術やスタートの判断力、走塁に必要な状況判断にも優れた選手だった。
4年連続盗塁王の記録各シーズンの盗塁数は以下の通りだ。
| 年 | 盗塁数 | 主な記録 |
|---|---|---|
| 2007年 | 38 | 盗塁王 |
| 2008年 | 50 | 盗塁王 |
| 2009年 | 51 | 盗塁王 |
| 2010年 | 59 | 盗塁王 |
特に注目したいのは、2010年の59盗塁だ。
2008年には167安打を記録して最多安打のタイトルも獲得。ベストナインの二塁手部門にも選ばれている。
走塁だけではなく、打撃でもチームの攻撃を支える存在だった。
片岡保幸のプロ野球通算成績日本野球機構(NPB)の個人年度別成績によると、片岡氏の一軍通算記録は次の通りである。
| 項目 | 通算記録 |
|---|---|
| 出場試合 | 1,208試合 |
| 打席 | 4,979 |
| 打数 | 4,413 |
| 安打 | 1,174 |
| 本塁打 | 66 |
| 打点 | 389 |
| 得点 | 619 |
| 盗塁 | 320 |
| 打率 | .266 |
| 出塁率 | .314 |
| 長打率 | .366 |
出典はNPB公式の2025年シーズン終了時点の個人年度別成績。現役引退後に記録が変動することはないため、これらがプロ野球選手としての確定した通算成績となる。
通算320盗塁は、片岡氏の選手としての特徴を端的に表す数字だ。
本塁打や長打で試合を決めるタイプではなく、出塁して走り、相手の守備や投手にプレッシャーをかけるスタイルを得意としていた。
2009年WBC日本代表としての活躍2009年には第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選出された。
当時の日本代表には、イチロー、青木宣親、中島裕之、城島健司など、国内外で活躍する選手が集結していた。
片岡氏は内野手として代表入りし、国際大会でも持ち味の俊足を発揮した。
NPB公式の2009年WBC個人成績によると、片岡易之の記録は以下の通り。
- 出場試合:7試合
- 打席:15
- 安打:4
- 打率:.308
- 盗塁:4
特筆すべきは、7試合で4盗塁を記録したことだ。
日本代表は決勝で韓国を破り、大会連覇を達成。片岡氏も世界一を経験したメンバーの一人となった。
このWBC日本代表入りは、国内リーグでの盗塁王という実績だけでなく、国際舞台でも走力を評価されていたことを示している。
【読売ジャイアンツ移籍と引退】故障を乗り越えた第2の野球人生
西武で長く活躍した片岡氏は、2013年シーズン終了後に国内FA権を行使し、読売ジャイアンツへの移籍を決断した。
移籍先として巨人を選んだことで、パ・リーグからセ・リーグへと活躍の舞台が変わることになる。
巨人移籍1年目は126試合に出場2014年の巨人では126試合に出場し、108安打、打率.252、24盗塁を記録した。
2015年も113試合に出場して85安打、21盗塁を記録しており、移籍後も一定の存在感を示した。
しかし、西武時代から続く故障の影響は大きく、2016年以降は出場機会が減少していく。
2017年には一軍出場がなく、同年限りで現役引退を決断した。
俊足を最大の武器とする選手にとって、下半身や肩などの故障はプレーの幅に大きく影響する。走塁だけでなく、守備範囲や打撃時の動作にも関係するためだ。
片岡氏の場合も、持ち味を十分に発揮できる状態を維持することが難しくなったことが、現役生活の終わりにつながった。
引退後は巨人の二軍コーチに転身2018年から2021年までは、巨人の二軍内野守備走塁コーチを務めた。
現役時代に培った走塁技術や内野守備の経験を、若手選手に伝える立場になったのである。
さらに2022年11月の巨人秋季キャンプ、2023年の春季キャンプでは、横浜DeNAベイスターズの臨時コーチとしても指導に参加した。
現役時代の経験を特定の球団だけに閉じ込めず、さまざまなカテゴリーで指導に生かしてきた点も特徴的だ。
プロの世界で結果を残すための技術と、若い選手が基礎を身につけるための指導は、必ずしも同じではない。
片岡氏はその違いを経験しながら、次のキャリアを築いていった。
【2026年最新】片岡保幸はジャイアンツU15ジュニアユースの監督
2026年現在の片岡保幸氏を語るうえで欠かせないのが、ジャイアンツU15ジュニアユースでの活動だ。
2023年9月、読売巨人軍は2024年に新設する中学生の硬式野球チームについて発表し、片岡氏が初代監督に就任することを明らかにした。
チームは「ジャイアンツU15ジュニアユース」と呼ばれ、ボーイズリーグでの登録名は「多摩川ボーイズ」となっている。
なぜ中学生の指導を選んだのか?片岡氏は2023年の監督就任発表時、約2年間プロ野球の世界から離れ、自分が次に何をするべきかを模索していたと説明している。
その中で巨人から監督就任の話を受け、引き受けることを決断した。
また、2025年の週刊ベースボールONLINEのインタビューでは、指導者として重視するものに「基本」を挙げている。
キャッチボール、捕球姿勢、トスバッティングなど、野球の土台となる動作を丁寧に身につけさせることを重視している。
プロの選手は試合や実戦練習に追われ、基本動作を時間をかけて学び直す余裕が限られる。一方、中学生年代なら、基礎をじっくり習得する時間を確保できる。
これは、長年プロでプレーした片岡氏だからこそ実感できた課題ともいえる。
2026年の具体的な活動2026年1月には、読売巨人軍がJICAとの連携協定に基づいて実施したニカラグアへの指導者派遣に参加した。
片岡氏はU15監督として現地に赴き、U23・U15男子代表や女子チームなどを対象とした野球指導に携わった。
また、2026年7月15日更新の旭川市公式情報では、ジャイアンツU15ジュニアユースの旭川合宿が紹介されている。
同市の案内によると、チームは創部3年目にして全国準優勝を達成。7月26日から29日まで旭川で強化合宿を実施する予定となっていた。
こうした活動からも、片岡氏が単に肩書きとして監督を務めているのではなく、チームの育成や競技普及に継続して関わっていることが分かる。
注意したい「侍ジャパンU15監督」との混同ここは間違えやすいポイントだ。
片岡保幸氏は、あくまで読売巨人軍のジャイアンツU15ジュニアユースの監督である。
2026年の侍ジャパンU15日本代表監督は、別人の大森剛氏だ。
日本代表の公式発表では、大森氏が2026年の第7回WBSC U-15ワールドカップの日本代表監督に就任している。
両者は多摩川ボーイズに関係する指導者だが、役職は異なる。
「片岡保幸が2026年のU15監督」という情報を見たときは、巨人のジュニアユースを指しているのか、侍ジャパンの日本代表を指しているのかを区別する必要がある。
【ベッキーとの結婚】馴れ初めや子供、家族構成を整理
片岡保幸氏の名前が野球ファン以外にも広く知られるようになった理由の一つが、タレントのベッキーとの結婚だ。
2人は2019年1月に婚姻届を提出し、同年2月13日にベッキーが自身のSNSで結婚を発表した。
ベッキーとの出会いと馴れ初め2人が知り合ったのは2018年。
日刊スポーツの報道によると、共通の知人を通じて紹介されたことがきっかけだった。
片岡氏は以前からベッキーのファンだったとされ、同年5月ごろから交際に発展した。
さらに2025年1月、ベッキーは東海テレビの番組「千原ジュニアのヘベレケ」で、結婚までの経緯を詳しく語っている。
当初、ベッキーは野球選手というだけで相手に対して先入観を持っており、紹介を断っていたという。
しかし、ある日、片岡氏の顔を画像検索したことをきっかけに、突然会いたくなったと説明した。
初対面では片岡氏の方が控えめな態度だったものの、その翌週には名古屋で交際が始まったという。
このエピソードは、2025年のスポニチの番組取材記事でも紹介されている。
交際が公になった後、2019年1月に結婚。発表時には、ベッキーが感謝の気持ちを大切にしながら夫婦として歩んでいく意向を伝えていた。
子供は何人?娘2人の4人家族片岡氏とベッキーの間には、2人の娘がいる。
これまでの公表情報を時系列で
| 時期 | 家族に関する出来事 |
|---|---|
| 2019年1月 | 片岡保幸氏とベッキーが結婚 |
| 2019年2月 | ベッキーが結婚を公表 |
| 2020年3月 | 第1子となる長女が誕生 |
| 2021年春 | 第2子となる次女が誕生 |
| 2022年3月 | ベッキーが2人の娘についてテレビ・ラジオ番組で語る |
| 2025年1月 | 夫婦の子育てや家族生活について語る |
2022年のスポニチの報道では、ベッキーが2人の娘について、それぞれの性格や親子関係を紹介している。
また、2025年1月のテレビ出演でも、片岡氏が子育てに協力的であることを語っていた。
夫婦ともに仕事を続けながら、家庭生活を大切にしている様子がうかがえる。
家族構成については、夫婦と娘2人の4人家族という情報が公表されている。娘たちの名前や日常生活の細部については、家族のプライバシーに関わるため、公開された情報以上に踏み込む必要はない。
ベッキーの夫が片岡治大と報道される理由芸能ニュースでは、現在でも夫の名前が「片岡治大」と表記されることがある。
これは結婚を発表した2019年当時、片岡氏が巨人のコーチとして活動しており、登録名が片岡治大だったためだ。
その後、本名の片岡保幸名義で活動するようになったが、過去の記事や当時の報道では片岡治大という名前が残っている。
そのため、結婚関連の記事を検索すると、片岡治大と片岡保幸の両方が登場する。
ここでも別人ではなく、同一人物の名前の変遷によるものだ。
【プロの結論】片岡保幸の本当の強みは現役時代の実績を育成に生かせること
片岡易之という名前が今も検索されるのは、単に登録名が珍しかったからではない。
西武時代の4年連続盗塁王、2009年WBC日本代表、巨人へのFA移籍という明確な実績があり、プロ野球史に名前を残した選手だからだ。
そして、2026年の片岡保幸氏を理解するうえでは、現役時代の数字だけでなく、引退後の活動にも注目する必要がある。
特に興味深いのは、盗塁王を4度獲得した選手が、現在は中学生の基本動作や野球の楽しさを教える立場になっていることだ。
俊足を武器にプロの世界で勝負してきた経験は、走塁技術だけでなく、試合の状況を読む力や準備の大切さを伝える材料にもなる。
また、プロ選手を育てることだけを目的にせず、野球を通じた人間的な成長を重視する姿勢も、現在の指導活動の特徴だ。
読者が片岡氏に関する情報を見極める際には、次の3点を押さえておきたい。
1. 名前の違いは登録名の変遷であること。 片岡易之、片岡治大、片岡保幸を別人として扱わない。
2. 現在の肩書きは巨人のU15監督であること。 侍ジャパンU15日本代表監督とは区別する。
3. 家族情報は公表された範囲で理解すること。 ベッキーとの結婚や娘2人の存在は公表されているが、家族の私生活すべてが公開されているわけではない。
選手としての実績を指導者としての経験へつなげていることこそ、片岡保幸氏の現在を理解する要点である。
【片岡易之・片岡保幸に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:片岡易之と片岡保幸は同一人物ですか?
A1:同一人物です。片岡易之は2005~2012年に使用した登録名で、片岡治大は2013~2021年に使用した登録名です。現在は本名の片岡保幸名義で活動しています。
Q2:片岡易之が改名した理由は何ですか?
A2:プロ入り前の2004年に、故障が多かったことなどを背景に本名から片岡易之へ登録名を変更しました。2012年にも故障からの再出発を意識して片岡治大に変更しています。いずれも心機一転を図る意味合いがありました。
Q3:片岡保幸は2026年現在、何をしていますか?
A3:読売巨人軍のジャイアンツU15ジュニアユース(多摩川ボーイズ)の監督を務めています。中学生の硬式野球選手を指導し、国内外の野球普及活動にも参加しています。
Q4:片岡保幸とベッキーの子供は何人ですか?
A4:娘が2人います。第1子は2020年3月、第2子は2021年春に誕生しました。
Q5:片岡易之の通算盗塁数はいくつですか?
A5:NPB公式記録では320盗塁です。2007年から2010年まで4年連続盗塁王を獲得し、2010年にはシーズン59盗塁を記録しました。
Q6:片岡易之は2009年のWBCに出場しましたか?
A6:出場しています。2009年の第2回WBC日本代表に選ばれ、7試合に出場。打率.308、4盗塁を記録し、日本の大会連覇を経験しました。
片岡易之、片岡治大、片岡保幸という3つの名前は、すべて同じ人物を指している。
西武時代には4年連続盗塁王という輝かしい実績を残し、NPB通算320盗塁を記録。2009年のWBCでは日本代表として世界一を経験した。
その後、FA移籍で巨人に加入し、2017年に現役を引退。二軍コーチや臨時コーチとして指導経験を積み、2024年からはジャイアンツU15ジュニアユースの初代監督として新しいキャリアを歩んでいる。
私生活では2019年にベッキーと結婚し、2人の娘の父親となった。
2026年は、ニカラグアへの指導者派遣やジュニアユースの強化活動など、指導者としての活動範囲も広がっている。
選手時代のスピードスターとしての記憶に加え、次世代の野球選手を育てる現在の姿にも注目したい。
片岡易之という名前を調べている人が知っておくべき答えは、かつての盗塁王と現在のU15監督は同じ人物であり、その野球人生は今も続いているということだ。