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三億円事件モンタージュ写真の真相は?公開日・実在人物説・破棄の経緯を徹底解説

桐原 星奈 桐原 星奈 • 更新: • 公開: • 読了約 22 分
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1968年12月、東京・府中市で発生した三億円事件。その象徴として日本中に知られるようになったのが、白いヘルメットをかぶった若い男性のモンタージュ写真だった。事件発生からわずか11日後の1968年12月21日に公開され、全国に情報提供を呼びかけたこの写真は、長年にわたって「犯人の顔」として人々の記憶に残っている。

しかし、写真の信頼性には重大な疑問が浮上した。実在する男性の写真を流用したとする報道、事件前に亡くなっていた人物がモデルだったという説、そして1974年12月の正式な破棄。2026年にはNHKの「未解決事件 File.10 三億円事件」でも、事件の捜査資料や関係者の証言が改めて検証された。実際の犯人の顔を正確に再現した写真だったのか。その答えを、公開から破棄までの歴史と新たな調査報道から読み解く。

【先に結論】三億円事件のモンタージュ写真は犯人の顔を正確に再現していたのか?

三億円事件モンタージュ

答えは、犯人の実際の顔を正確に再現したと裏付けられる写真ではない、ということだ。

1968年12月21日に公開された写真は、事件当時の捜査において重要な情報提供の手段として使用された。しかし、後年の報道では、写真そのものが目撃者の証言から作られた純粋な合成画像ではなく、事件とは無関係の実在男性の写真を流用したものだったと指摘されている。

この問題を追い続けてきた人物の一人が、事件を長年取材してきたジャーナリストの近藤昭二氏だ。

近藤氏は、2009年の『週刊朝日』の記事などで、モンタージュ写真のモデルとされた男性が事件前に亡くなっていたという調査結果を紹介している。

加えて、2021年のテレビ東京系の報道では、写真に使われた人物は事件の約1年半前にすでに死亡していた男性であり、写真はヘルメットやマスクなどを加えただけで、元の顔がほぼ残っていたとする近藤氏の説明が取り上げられた。

ここで区別すべきなのは、次の3点である。

- 写真が1968年12月21日に公開されたことは、事件の年表などから確認できる。
- 写真が実在する別人の顔をもとにしていたという説は、複数の報道で紹介されている。
- その男性の身元や写真が採用された詳しい経緯について、一般に検証できる警察の公式記録が公開されているわけではない。

つまり、実在人物の写真流用説には取材に基づく報道上の根拠がある一方、特定の人物を犯人と結び付ける証拠にはならない。

1974年12月に写真が正式に破棄されたという事実も、当初の写真を犯人の顔として信用し続けることができなかったことを示している。

【1968年12月21日】三億円事件モンタージュ写真の公開と作成方法

事件発生から11日後に公開された写真

三億円事件が発生したのは、1968年12月10日午前9時20分ごろだった。

東京都府中市の府中刑務所裏の道路で、日本信託銀行国分寺支店から東芝府中工場へ現金を運んでいた輸送車が、白バイ警察官を装った男に奪われた。

犯人は白いヘルメット、白いマスク、黒い革ジャンパーという姿で現れ、輸送車に爆発物が仕掛けられていると説明。車体の下に発煙筒を置いて煙を発生させ、銀行員たちを遠ざけた隙に輸送車を運転して逃走した。

奪われた金額は正確には2億9430万7500円。当時としては前例のない巨額強奪事件だった。

事件発生後、府中警察署には特別捜査本部が設置され、目撃者の証言や遺留品の調査が進められた。

そして12月21日、犯人の顔を再現したとされるモンタージュ写真が公開された。

公開の目的は、市民から情報を集め、犯人の特定につながる手がかりを得ることだった。

当時はテレビや新聞を通じて写真が広く報道され、ヘルメット姿の男性の顔は事件を象徴する存在となった。

モンタージュ写真はどのように作られるのか

そもそもモンタージュ写真とは、目撃者が記憶している顔の特徴を複数の写真部品から選び、組み合わせることで顔を再構成する捜査手法である。

従来の装置では、眉、目、鼻、口などの部位ごとに用意された写真を選び、目撃者が見た顔に近づけていく。

現在のアバター作成に近い仕組みだ。

ただし、写真の部品を組み合わせるだけでは、実際に目撃した人物の顔を完全に再現できるわけではない。

日本顔学会誌に掲載された金沢工業大学の渡邊伸行氏による研究論文「捜査用似顔絵描画の実際」では、従来のモンタージュ写真について、次のような問題点が整理されている。

1. 部品を選ぶ過程で、目撃者の元の顔の記憶が変化する可能性がある。
2. 個々の顔の部品が似ていても、完成した顔全体の印象が記憶と一致するとは限らない。
3. 写真として完成すると、捜査対象が特定の顔に限定され、捜査範囲を狭める可能性がある。

特に重要なのは、顔の部品だけでなく、その配置も人物の印象を左右するという点だ。

目と目の距離、目と口の位置関係などが少し違うだけでも、顔全体の印象は変わる。

三億円事件の写真に残された問題

三億円事件のモンタージュ写真については、一般的な合成方式で作られたという説明だけでは、実際の制作過程を十分に説明できない。

近藤昭二氏の取材に基づく報道では、実在男性の写真が流用され、ヘルメットやマスクなどを加えたものだったとされる。

もしこの説明が正しければ、目撃者の証言から複数の顔の特徴を組み立てるという本来の目的とは、大きく異なる。

写真に写った人物の顔が特定の実在男性に強く結び付いてしまうため、目撃者の記憶を幅広く表現することも難しくなる。

モンタージュ写真という名称だけが独り歩きし、実際にはどのような素材から作られたのかという問題が長く見過ごされてきたのである。

【事件発生から破棄まで】三億円事件モンタージュ写真の歴史年表

写真の意味を理解するには、公開日だけでなく、その後の捜査や破棄までの流れを確認する必要がある。

時期 出来事 意義・確認できる内容
1968年12月10日 三億円事件発生 府中市で現金輸送車が強奪される
1968年12月10日 府中署に特別捜査本部設置 大規模な捜査が始まる
1968年12月21日 モンタージュ写真公開 犯人の顔として全国に情報提供を呼びかける
1969年4月9日 逃走用車両などを発見 捜査が続く一方、決定的な容疑者特定には至らない
1969年4月24日 平塚八兵衛が捜査に加わる 単独犯説を中心とする捜査が展開される
1974年12月 モンタージュ写真を正式に破棄 写真の信頼性に疑問が生じ、捜査上の手配写真としての役割を終える
1975年12月10日 公訴時効成立 犯人を特定できないまま事件が未解決となる

この年表から見えてくるのは、写真の公開から破棄まで約6年間にわたり、捜査の象徴として扱われていたという事実だ。

フジテレビが公開している三億円事件の年表では、12月21日の写真公開、1969年4月24日の平塚八兵衛の捜査参加、1975年12月10日の公訴時効成立などが整理されている。

また、1974年12月の破棄については、後年の報道でも写真の信頼性に疑問が生じたことが説明されている。

注目したいのは、写真が破棄された後も、新聞記事、書籍、テレビ番組などで同じ画像が繰り返し使用されたことだ。

捜査上の効力を失った写真が、社会の記憶の中では犯人の顔として残り続けた。

この時間差こそ、三億円事件のモンタージュ写真が持つ大きな問題の一つである。

【目撃証言と犯人像】なぜモンタージュ写真は捜査の決め手にならなかったのか

三億円事件の犯人像を考えるうえで欠かせないのが、現場にいた人々の証言である。

事件当時、現金輸送車には銀行員4人が乗っていた。彼らは犯人と直接接触し、白バイ警察官を装った人物の行動を目撃している。

しかし、犯人の顔を正確に記憶することと、犯人の服装や行動を記憶することは同じではない。

白いヘルメットやマスクを着用していた人物について、顔の細かな特徴を完全に再現するのは容易ではなかった。

2026年に初めて取材に応じた現場目撃者

2026年1月10日に放送されたNHKスペシャル「未解決事件 File.10 三億円事件」では、事件現場の一部始終を目撃した当時の女子高校生が初めて取材に応じた。

彼女は、現場に現れた白バイへの違和感や、警官姿の犯人が発した言葉、犯人の様子について証言した。

この証言は、長年にわたって知られてきた事件像を改めて検討するうえで重要な意味を持つ。

番組では、捜査資料や関係者への取材を通じて、当時の捜査の流れも再検証された。

注目されるのは、写真の顔だけに注目するのではなく、犯人の服装、動作、現場での発言、白バイの特徴など、複数の情報を組み合わせて犯人像を考える必要性だ。

目撃証言とモンタージュ写真の信頼性

モンタージュ写真の信頼性を判断するときには、少なくとも次の点を分けて考える必要がある。

- 目撃者が犯人の顔をどの程度の時間、どの距離から見たのか。
- 顔を隠す装備がどの程度あったのか。
- 目撃者の証言が写真の作成前にどのように整理されたのか。
- 完成した写真を目撃者がどの程度支持したのか。
- 写真が公開された後、目撃者の記憶に報道画像が影響していないか。

特に最後の点は重要だ。

同じ顔写真を新聞やテレビで繰り返し見ると、実際に目撃した人物の記憶と、後から見た画像の印象が混ざる可能性がある。

これは三億円事件に限らず、目撃証言を扱う捜査全般に関係する問題である。

写真の公開が情報提供を促す一方で、目撃者の記憶や市民の認識に影響する可能性もあった。

【実在人物の写真流用説】モンタージュ写真のモデルとされた男性の正体

三億円事件のモンタージュ写真をめぐる最大の謎が、実在人物の写真流用説である。

この説では、公開された写真は犯人の顔を目撃証言から新たに合成したものではなく、事件とは無関係の男性の写真をベースにしていたとされる。

モデルとされた男性は事件前に亡くなっていた?

この問題を長年追ってきたのが、ジャーナリストの近藤昭二氏だ。

2009年1月の『週刊朝日』には、近藤氏による「週刊ノンフィクション劇場 3億円事件 40年目の新証言(2)モンタージュの男は事件前に死んでいた」という記事が掲載された。

国立国会図書館の書誌情報でも、この記事の掲載が確認できる。

近藤氏の調査によると、モンタージュ写真のモデルとされた男性は、事件発生より前に事故で亡くなっていた人物だったという。

さらに2021年7月、テレビ東京系の番組でも近藤氏の取材内容が紹介された。

そこで説明されたのは、事件当時に容疑者として浮上した19歳の少年と、写真のモデルとされた男性が別の人物だったという話である。

報道によれば、現場にいた銀行員4人の証言から少年が捜査線上に浮上したものの、写真にはその少年ではなく、よく似た別の男性の顔が使われたという。

この説明には、少年が警視庁幹部の息子だったという背景も含まれている。

ただし、これは近藤氏の取材に基づく説明であり、警察が公表した確定的な捜査記録と同一視することはできない。

少年Sと写真のモデルは同一人物なのか

ここで混同されやすいのが、少年Sと写真のモデルとなった男性の関係だ。

両者は、報道で説明されている限り、同一人物ではない。

対象 報道で説明されている内容 判断上の注意
少年S 事件直後に容疑者として浮上した19歳の少年 真犯人と確定した人物ではない
写真のモデルとされた男性 事件前に死亡していたとされる実在男性 犯行との関係は確認されていない
モンタージュ写真 少年Sに似た人物として使用されたという取材説がある 犯人本人の顔を示す証拠ではない
近藤昭二氏 写真流用説を長年取材してきたジャーナリスト 取材上の主張と警察の公式認定は区別が必要

この違いを理解することが、写真流用説を正確に捉えるための出発点になる。

なぜ実在人物の写真が使われたのか

近藤氏の説明では、少年Sを公然と容疑者として扱いにくい事情があり、代わりに似た人物の写真が使用されたという。

ただし、写真が選ばれた具体的な判断過程や、関係者の間でどのようなやり取りがあったのかについては、公開情報だけではすべてを再構成できない。

また、写真のモデルとされた男性の名前を、確定した犯人情報のように扱うこともできない。

重要なのは、写真のモデルが実在人物だったという報道が存在することと、その人物が事件に関与したことはまったく別の問題だという点だ。

写真の男性が犯人だったという証拠は示されていない。

【2026年最新の再検証】NHK未解決事件 File.10が明らかにした捜査の問題点

2026年1月10日、NHK総合で「NHKスペシャル 未解決事件 File.10 三億円事件」が放送された。

時効成立から50年という節目に合わせた再検証であり、事件の真相だけでなく、捜査がなぜ失敗したのかという問題にも焦点が当てられた。

NHKオンデマンドの番組紹介によると、番組は捜査に関する膨大な資料を入手し、180人以上の関係者に取材した。

取材対象には、当時の捜査員や報道記者など、事件の最前線にいた人々が含まれている。

初動捜査のつまずきが長期化につながった

今回の再検証で注目されたのが、初動捜査の問題だった。

MANTANWEBの放送紹介によると、現場から約20キロ離れた場所で、犯行に使用されたとみられる偽白バイについての重要な証言が複数見つかっていたにもかかわらず、それらが十分に生かされていなかったという。

加えて、捜査資料の中には、捜査を託された刑事の手記が残されていた。

その内容として紹介されたのが、次の言葉だ。

「初動のつまずきを取り戻すことは容易ではない」

この言葉には、事件直後に生じた捜査上の問題を、その後の大規模な捜査で取り戻すことの難しさが表れている。

捜査員を増やし、容疑者を広く調べても、最初に見落とした情報が後になって重要な意味を持つことがある。

平塚八兵衛の捜査方針と単独犯説

三億円事件の捜査を語るうえで欠かせないのが、平塚八兵衛である。

平塚は、警視庁で数々の重大事件を担当した刑事で、吉展ちゃん誘拐殺人事件の解決などでも知られる。

三億円事件では、発生から約4カ月後の1969年4月24日に捜査へ加わった。

当時の捜査では単独犯説と複数犯説が対立していたが、平塚は単独犯説を強く主張した。

一方、事件を取材した関係者の中には複数犯説を支持する人物もいた。

2021年の文春オンラインの取材記事では、当時の関係者が、平塚の考えに周囲が異を唱えにくかった状況を証言している。

ここで問題となるのは、単独犯説そのものが正しかったかどうかだけではない。

捜査組織の中で有力刑事の見解が強くなりすぎると、異なる可能性を十分に検討できなくなる危険がある。

三億円事件では、犯人の人数という根本的な部分で捜査方針が分かれ、決定的な結論を出せないまま時間が経過した。

17万人の捜査員でも犯人に届かなかった理由

2026年のNHK関連報道では、三億円事件の捜査に投入された人数は延べ17万人、捜査対象者は12万人と紹介されている。

それほど大規模な捜査にもかかわらず、犯人の特定には至らなかった。

理由として考えられるのは、次の複数の要素である。

- 遺留品が多かった一方、犯人を直接特定する決定的な証拠が不足していた。
- 偽白バイや逃走用車両などの捜査が複雑化した。
- 単独犯説と複数犯説の対立が続いた。
- 重要な目撃情報が捜査の中で十分に活用されなかった。
- モンタージュ写真の信頼性そのものに問題があった。

特に、写真が正確でない可能性がある以上、それを中心に犯人像を固定することには危険があった。

写真が捜査を助けるための資料であるはずなのに、逆に捜査対象を限定する要因になっていた可能性も検討する必要がある。

【プロの結論】2026年時点での歴史的評価

三億円事件のモンタージュ写真は、単なる古い捜査写真ではない。

目撃証言をどのように記録し、画像化し、社会に公開するのかという問題を象徴している。

2026年の再検証からも分かるのは、未解決事件の解明には、犯人候補を新しく提示するだけでなく、当時の捜査資料を一つずつ見直す作業が必要だということだ。

写真流用説については、近藤昭二氏の取材や後年の報道が重要な資料となっている。一方、写真のモデルとされた男性の身元や採用経緯をめぐるすべての疑問が、公的資料によって解消されたわけではない。

また、2026年のNHKの再検証も、真犯人を確定するものではない。

写真が犯人の顔を正確に再現していたという前提は成立しない。しかし、写真のモデルとされた人物が犯人だったという結論も成立しない。

この二つを混同しないことが、三億円事件を正しく理解するための重要な判断基準である。

【三億円事件モンタージュ】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:三億円事件のモンタージュ写真はいつ公開された?

A1:1968年12月21日。1968年12月10日の事件発生から11日後に公開され、犯人の情報提供を呼びかけるために使用された。

Q2:三億円事件のモンタージュ写真のモデルは誰?

A2:近藤昭二氏らの取材に基づく報道では、事件前に亡くなっていた実在男性の写真が使われたとされている。ただし、男性の身元や写真の採用経緯について、警察の公式発表によってすべてが確定しているわけではない。

Q3:三億円事件のモンタージュ写真はなぜ破棄された?

A3:写真の信頼性に疑問が生じたため、1974年12月に正式に破棄された。公開後も事件の象徴として使用され続けたが、捜査上の手配写真としての役割は終わった。

Q4:平塚八兵衛は三億円事件の捜査に関わっていた?

A4:関わっていた。1969年4月24日に捜査へ加わり、単独犯説を主張したことで知られる。事件は最終的に未解決のまま公訴時効を迎えた。

Q5:2026年現在、三億円事件の犯人は判明している?

A5:判明していない。1975年12月10日に公訴時効が成立し、事件は未解決のままである。2026年のNHK「未解決事件 File.10」では新たな証言や捜査資料が紹介されたが、犯人を特定する結論には至っていない。

三億円事件のモンタージュ写真は、1968年12月21日に公開され、日本中に広まった事件の象徴だった。

しかし、その写真が犯人の顔を正確に再現していたという根拠はなく、後年には実在する別人の写真を流用したとする報道も登場した。

1974年12月には正式に破棄され、捜査資料としての信頼性にも疑問が残された。

さらに2026年のNHK「未解決事件 File.10 三億円事件」では、180人以上への取材や膨大な捜査資料の検証を通じて、初動捜査の問題や見落とされた重要証言が改めて浮かび上がった。

三億円事件が未解決となった背景には、犯人像をめぐる混乱、捜査方針の対立、証言の扱い、証拠の限界など、複数の問題が重なっていた。

現在もモンタージュ写真は事件の象徴として知られている。しかし、あの顔を犯人本人だと考えることはできない。

三億円事件の本当の謎は、モンタージュ写真に写っていた男性が誰なのかという問題だけではない。なぜ捜査の象徴となった写真が信頼性を失い、なぜ膨大な捜査資料と証言がありながら犯人にたどり着けなかったのか。

この二つの問いこそ、半世紀以上を経た2026年にも残されている、三億円事件の核心である。

主な参照資料

- NHKオンデマンド「未解決事件 File.10 三億円事件」
- MANTANWEB(2026年1月10日)
- テレビ東京プラス(2021年7月2日)
- 国立国会図書館所蔵『週刊朝日』(2009年1月)
- 新潮QUE(2026年5月1日)
- 日本顔学会誌(2022年、第22巻第2号)
- フジテレビ「新証言!三億円事件」

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トレンドリサーチャー 桐原 星奈
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